松浦 知也 Matsuura Tomoya
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#book
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竹村和子訳 青土社
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2018年(新装版)
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原著1990年
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セックスを生物学的性、ジェンダーを社会構築物とするとき、じゃあなぜジェンダーは男か女という2項に分かれなければいけないのか
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セックスとジェンダーというカテゴリ分けを行う作業自体が一つの社会構築である
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> ジェンダーとは、その全体性が永久に遅延されるような複雑さであって、ある特定の瞬間に全容が現れ出るものではない。(p44)
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これ時間の要素として説明されてるの面白い。ジェンダーフルイド的な話にも読める
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カテゴリーを無限に分けていったり何か統一的な定義を求めることには意味がない。ではジェンダーアイデンティティとはそもそもなんなのか、という話になってしまう
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人のアイデンティティは本来identicalな唯一無二のものではなく矛盾した複雑性を抱えているけど、それを会話などで表出する際にはその際その際のアイデンティティが発生している、みたいなことだろうか
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いや、どちらかというと「ジェンダー」というカテゴリ自体がパフォーマティブに生み出されているよという話か
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> この意味で、*ジェンダー*は名詞ではないが、自由に浮遊する一組の属性というのでもない。なぜなら、ジェンダーの実体的効果は、ジェンダーの首尾一貫性を求める規制的な実践によってパフォーマティヴに生み出され、強要されるものであるからだ。(p58)
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> 異性愛構造から自由なセクシュアリティとか、「セックス」を超えるセクシュアリティというユートピア的な考え方では、いかに権力関係が、「解放された」異性愛にレズビアニズムにおいてさえ、女のセクシュアリティを構築しつづけているかということを考察できないからだ。(p67)
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これは[[アセクシャル]]の議論ともかなり近い |