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date: 2025-10-14 10:02
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#book
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[[Billy Klüver]] 、 [[Julie Martin]] [[Barbara Rose]]著
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[[大阪万博(1970)]]の[[Expriments in Arts and Technology]] ([[E.A.T]])ペプシパビリオンの記録。
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ペプシパビリオンは、3月に万博が始まって、4月末にはペプシ社から活動停止を言い渡されている
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## 前書き [[Billy Klüver]]
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色々日本のワークスタイルとの違いがあって失敗したこともあった
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太陽を模ったオブジェクトが実際の太陽のパスに沿って動く(Suntrak)という予定があったが、間に合わなくて失敗
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鏡も最初はハードなのを使うことにしていたが、減圧式のフィルムミラー?にギリギリで変えた
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Live Programming 音響とかもその場で変えようと思えば変えられる作り
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観客が主体的に体験を作れること、観客ごとの個別の体験であること
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## Into the Collaboration [[Nina Lindgren]]
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当時の[[環境芸術]]の流行りを感じさせるムーブメントが、大阪万博のコンセプトそのものにもあった
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E.A.Tへのオファー前、ペプシ社は若者をターゲットにしていたので、初めはロックのコンテストをやって優勝者には世界中を飛び回れる航空券をプレゼント予定だった(おもろすぎる)
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この時点で「境界なき世界」というコンセプトは定まっていた(その意味では飛行機がプレゼントなのもまあ合っててウケる)
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[[Robert Breer]]が最初に依頼されたアーティスト
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映像を依頼した映画監督David Thomasが、あんなドーム形状のとこでロックとかマジで音響最悪だしそもそも誰も興味持ってなくない?みたいな話をする
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Thomasは六ヶ月ぐらい放置されている間、ディズニーとかに映像制作の依頼が行ってそれも失敗、ぐちゃぐちゃの状態のプロジェクトが帰ってくる(1968年8月)
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1969年9月にクルーヴァーと相談し始める
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パビリオンのデザインはともかく、中のLight ShowとしてThomasはUSCOとElectric CircusとE.A.Tの3つを、協働させるかコンペ形式にするか考えていたが、クルーヴァーはどちらもE.A.Tのやり方にはそぐわないので拒んだ(ただ、ThomasはUSCOとECには一応プロポーザルを出させるための予算を出してもいた)
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Breerはまず次の3人にそれぞれのセクションを任せることにした。
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[[Forrest Myers]](Frosty) でかいライトスカルプチャーを作っていたので。
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[[Robert Whitman]]: 人を人として扱う。Crowd Controlをするのはディズニーのやり方。人には人のやりたいようにやらせれば良い。映画はどこに座ってどこを見ていつ退席するかが決まっている。自由に見れるシアターとしてのパビリオン。
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[[David Tudor]] Bandneon!やRainforestなど。空間そのものを楽器として扱うことに長けていたので
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問題は、個別にそれぞれの作品を作らせるわけではなく、それぞれのセクション同士の協働が必要になってくること。
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まず1968年10月にE.A.TヘッドクォーターのEast 16th Streetロフトで話し合う(Tudorはコンサートで不在)
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ベル研の[[Fred Waldhauer]]や[[John Pan]]といったエンジニアも参加。
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Frostyは「名前忘れたけどイカれたアイデアを出してきたエンジニアがいておもろかった」みたいな話をしていて、それはJohn Panのこと。
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全員でパビリオン全体のアイデアを練る。
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チュードアは比較的オープンエンドだった "Not to say 'no,' but. to keep it open(p17)"
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ロックコンサートの当初案も含め結構真面目に考えていた。もし自分がロックパフォーマーだとしてこのドームを使って空間との関係性を捉え直す、、とかだったら?
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まあ確かに、フィードバック自体はロックで遊ばれてるおもちゃでもあるし実際あの場でやれたら面白そうだけどね
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数週間ディスカッションは難航し、新たに建築家の[[John Pearce]]が加わった。[[丹下健三]]の全体の建築のコンセプトなどをシェアした
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11月のMTGには[[Robert Rauschenberg]]も参加し、単にビジュアルだけでなく全感覚を使うものにするべきだと提言
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「不可視の環境(invisible environment)」
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その場でクルーヴァーは、「あと2週間でアイデア固まんなかったらパビリオンの話は無しで」と言い、BreerやFrostyたちの話し合いが加速した
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Pearceはなるべくアーティストのアイデア出しの障壁を減らす様にした。例えば鏡を作るのってどうやるんだろう、みたいな不安に対して、「できるよ!」といってから実際の解決方法探しに(よくフィージビリティ確保できたなこれ)
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- どうも、読んでるとJohn Pearceが今日でいうテクニカル・ディレクター的な職能を発揮しているように思える(スケジュールの管理とかも含めて)
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