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2024-04-02 15:21 |
#history
- 藝大にメディア芸術の学科がないこと
- 多摩美にはそもそもいつからメディア芸術学科ができたか
- とかを調べていたらそもそもメディア芸術の教育の歴史ってそんなにまとまってないことに気づく
帝国美術学校から多摩美と武蔵美の設立までの歴史
1989年、美術学部が八王子へ移転した跡の上野毛校舎に、美術学部二部が新設されるのを契機に、コンピュータの授業が企画され、当時はまだワークステーションの時代に、多摩美術大学は、アップルジャパン社の武内重親社長と4年間の産学共同契約を締結してMAC2を30台を購入した。 米国で活躍していた卒業生の五十嵐威がデザイン学科長に就任、猪股裕一を中心としてパソコンによる美術教育のカリキュラム開発が始まった。
また、須永剛司を中心としてヒューマンインタフェースの授業と、アンドレアス・シュナイダーを中心としたインターネットの授業が開始された。
現在では、日本のデザイン界の大半はマック党となっているが、当時のマックはプログラミングを知らない素人の機械という印象であり「大学でアップルの消費者をつくるのか」と批評されたが、多摩美術大学の教育以降、日本の美術学校ではマックが中心となっていく。