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#writings

最近、執筆している論文を日英2言語同時に自分のWebサイトで公開している。

Hiding What from Whom? A Critical Review of the History of Programming languages for Music - Matsuura Tomoya|松浦知也

Lambda-mmm: 同期的信号処理言語のためのラムダ計算を基にした中間表現 - Matsuura Tomoya|松浦知也

これのモチベーションとかについて書き残しておく。

そもそも原稿を自分のWebサイトで公開することについて

厳密な確認をしているわけではないが、上の二つはどちらも国際学会で査読付きで採択されたものを、プレプリントという形で公開している。

そもそもの意味でのプレプリントとは、ジャーナル学術雑誌で採択されてから公開までに半年1年近くラグがあったりするので、そのまえにち著者自身のWebサイトで採択時点での内容を公開するものだ。学会のProceedingsに採録されるまでのラグはいいとこ3か月とかなので、プレプリントとして先行公開する意味はそこまでない。

雑誌の場合、本来有料で購入しなければいけない記事の内容を自身のWebサイトでどこまで無料で公開グリーンオープンアクセスしてよいかは、雑誌の投稿規定によりけりだだいたいは、出来上がったPDFを丸ごと乗せるとかしなければOKのはず。この意味でも、今回投稿した学会のProceedingsは、どちらも最終的にCC-アトリビューションライセンスで公開予定のものなので、著者のWebサイトで原稿が公開されることは現実的な問題になるとは考えづらい。

翻訳版はどういう扱いになるのか

基本的に、翻訳は二次的な著作物であり、著者と翻訳者それぞれに著作権が帰属することになる。

なので、原則的には英語版のものと日本語版の原稿は別物という扱いでいる。国際学会で発表した内容を、自分の大学の紀要に載せたり、海外での既発表内容の投稿を認めている国内学会での発表と同じ扱いになるはず。

ただ、日本語版で書いてある内容が、英語で発表した内容と全く同じであるという前提で引用をされたりするとちょっとまずいなと思い、日本語版には以下のような注意書きをおいてある。

この論文概要および本文は、英語版の著者による邦訳であり、採録されているものとは表現が異なる場合があります。引用する場合は、公開されているものを参照した上で行うか、邦訳版であることを明記してください。また、括弧やダブルクオート、固有名詞のフォーマットにブレがありますが、とりあえず公開しておくことを最優先して作成しているためご了承ください。

表現が異なる可能性がある物を置いとくなや、ちゃんと質を保証したうえでアップロードしろというお話ではあるのだが、半分はそもそも原文と翻訳の2つが全く同じ内容になることはあり得ない、ということを踏まえて書いている。

理系の論文であればそこまで大きく表現が変わることはないと思うのだが、私の場合人文系の論文も書くため、単語のチョイス一つにも結構気を使わなければならない場面はわりと多い。なので、日本語版の中には読んでもらえばわかるが英語のもともと書かれた単語を括弧書きで残していたり、場合によってはそのまんま載せてたりすることもある。これはもう半分の、編集校閲としての私の怠慢という部分も正直言ってある。

まあ、どうせ今公開している論文の内容を本気で読む場合はどうせ英語版の方もそれなりに読み込んでくれるでしょう、、という甘えですね。

そもそもの執筆の仕方について

じゃあ、なんでここ最近になって日本語版をセットで、かつ自分のWebで公開するようにしてるかという話に戻ると、そもそもここ最近英語現行の執筆のプロセスが少し変わったことに起因している。

大雑把に言うと、最近英語原稿を書くときは、日本語でドラフト執筆→DeepLやChatGPTで英語の下訳作る→気になるところを細かく修正、それ以降足りないと思ったところはゼロから英語で書き足す→再度ChatGPTなどで英文をざっと校正以前はGrammarlyも使ってたが、最近あまり使わなくなった→editageなどの学術的論文校正サービスに出す、というような流れになる。

editageは最近生成AIで基本的な校正を行っている原稿に対して、安く校正を行ってくれるプランがあるのでそれを使っている。というか、editageでの校正は査読を通過した後にやることの方が多い。結局査読コメントでproofreadingした方がいいけど内容はいいので採択、みたいな感じなので、それでも採択されるなら、採択されるかわからん段階で数万円払うよりずっといいかと思うようになってきた。

ここで問題なのは、国際学会に論文を通すのに英語を覚える必要が無くなったとかいう話では全然ないということで。日本語で書いてると、「ここ英語で書くのめんどくさそうだけど、日本語で言うとこのニュアンス以外に当てはまるものがないんだよな」という場所はとりあえずそのまま書いて、英訳のタイミングで改めて考え直すという場合もあるし、日本語で書いているけど、「ここはどう考えてもこの英単語のニュアンスしかあてはまらなさそうなんだよな」と思ったら、ルー大柴状態になってもその英単語をそのまま埋め込んでしまうことがある。公開されている日本語版原稿に英単語がそのまま残っていたりするのは、そういう場所の名残である。

なので、オリジナルで書かれている日本語の原稿が100日本語で書かれているのかと言われると、あくまであらかじめ英訳することを想定した日本語、ということになる。普通に英語で書かれたものを日本語翻訳して公開するのとは状況が違う。正直どちらを二次著作物と呼ぶべきかかなり微妙なところだ。

論文ってどのくらい読まれてるのかな

そういうわけで、英語の論文を投稿し終わったときには8割ぐらい完成状態の日本語原稿がすでにあるので、公開する手間が大したもんじゃない、かといって紀要に出したりするほどの手間を踏むよりWebにとりあえずぶん投げてしまった方が公益性が高そう、というのがより正確なモチベーションになる。自分の所属してる場所に紀要に相当する投稿機会がほぼないのもあるけど

何分、