2.8 KiB
date
date |
---|
2025-10-14 10:02 |
#book
Billy Klüver 、 Julie Martin Barbara Rose著
大阪万博(1970)のExpriments in Arts and Technology (E.A.T)ペプシパビリオンの記録。
ペプシパビリオンは、3月に万博が始まって、4月末にはペプシ社から活動停止を言い渡されている
前書き Billy Klüver
色々日本のワークスタイルとの違いがあって失敗したこともあった
太陽を模ったオブジェクトが実際の太陽のパスに沿って動く(Suntrak)という予定があったが、間に合わなくて失敗
鏡も最初はハードなのを使うことにしていたが、減圧式のフィルムミラー?にギリギリで変えた
Live Programming 音響とかもその場で変えようと思えば変えられる作り
観客が主体的に体験を作れること、観客ごとの個別の体験であること
Into the Collaboration Nina Lindgren
当時の環境芸術の流行りを感じさせるムーブメントが、大阪万博のコンセプトそのものにもあった
E.A.Tへのオファー前、ペプシ社は若者をターゲットにしていたので、初めはロックのコンテストをやって優勝者には世界中を飛び回れる航空券をプレゼント予定だった(おもろすぎる)
この時点で「境界なき世界」というコンセプトは定まっていた(その意味では飛行機がプレゼントなのもまあ合っててウケる)
Robert Breerが最初に依頼されたアーティスト 映像を依頼した映画監督David Thomasが、あんなドーム形状のとこでロックとかマジで音響最悪だしそもそも誰も興味持ってなくない?みたいな話をする
Thomasは六ヶ月ぐらい放置されている間、ディズニーとかに映像制作の依頼が行ってそれも失敗、ぐちゃぐちゃの状態のプロジェクトが帰ってくる(1968年8月)
1969年9月にクルーヴァーと相談し始める
パビリオンのデザインはともかく、中のLight ShowとしてThomasはUSCOとElectric CircusとE.A.Tの3つを、協働させるかコンペ形式にするか考えていたが、クルーヴァーはどちらもE.A.Tのやり方にはそぐわないので拒んだ(ただ、ThomasはUSCOとECには一応プロポーザルを出させるための予算を出してもいた)
Robert Whitman: 人を人として扱う。Crowd Controlをするのはディズニーのやり方。人には人のやりたいようにやらせれば良い。映画はどこに座ってどこを見ていつ退席するかが決まっている。自由に見れるシアターとしてのパビリオン。