--- date: "2024-02-06T01:46:14+0900" --- (昔のWorkflowyより、2020年ごろ) [[逆卷しとね]] [ウゾウムゾウのためのインフラ論 | webあかし](https://webmedia.akashi.co.jp/categories/786) - [https://webmedia.akashi.co.jp/categories/786](https://webmedia.akashi.co.jp/categories/786) - ”わたしたちはインフラが壊れて初めてインフラの存在を思い出し、それが日常生活の必要条件であることに思い至る。” - "事実、インフラは遍在している。" -> ubiquitous infrastructure - "インフラの現実的な利用を度外視して、近代化のために道路や橋を建設する現象を難波は「インフラ・フェティシズム」と呼んでいる。「[マテリアリティの政治と「インフラ論的転回」――社会の近代性を支えるヒト‐モノへの問い――](https://taweb.aichi-u.ac.jp/irhsa/2016.9.17WS_report.pdf)」(愛知大学人文社会学研究所 2016年度ワークショップ報告書)53-63頁、及びNambaを参照。" - [https://taweb.aichi-u.ac.jp/irhsa/2016.9.17WS_report.pdf](https://taweb.aichi-u.ac.jp/irhsa/2016.9.17WS_report.pdf) - "インフラは人間と非人間の二項対立を超える概念であり具体的対象" - [The Etymology of Infrastructure and the Infrastructure of the Internet « Hak Pak Sak](https://hakpaksak.wordpress.com/2008/09/22/the-etymology-of-infrastructure-and-the-infrastructure-of-the-internet/) - "ボウカーは物質的基盤であるインフラが、人間の社会、生活、イデオロギーに与えている大きな影響を可視化してみせようとしたのである。" - Geoffrey C. Bowker. Science on the Run: Information Management and Industrial Geophysics at Schlumberger, 1920–1940. Cambridge, MA: MIT Press, 1994. - "けれども、〜〜インフラを前景化する唯物論的アプローチは、インフラをいじれば人間のあり方や生活の利便性、社会性が変わるという工学万能主義的な短絡を全面化することになる。" - "ユーザーたちがインフラの生成にいつのまにか勝手に組み入れられる時代において、ユーザーのほうがインフラを勝手に組み直す。これはとてもアイロニカルな試みになる。" - "内閣府の説明によれば、Society 5.0とは「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)」" - これは[[落合陽一]]的な価値観とも近い - コンピューターはここでもinvisibleになるのだろうか - カームテクノロジーとスマートシティ - Ambient Computingもそうか - ”シェアリング・エコノミーを駆動させているのは企業の経済活動である。たとえば、「エアービーアンドビー(Airbnb)」や「中古品のリユースを無料で行うもの(たとえば U-Exchange)、自動車所有者が使わない時間帯だけ貸し出すもの(たとえば Zipcar)、あるいは同じく自動車所有者が近くにいる人を乗せてあげるライドシェアと呼ばれるもの(たとえば Uber)」にはサービスの関係(註39)はあっても、社会性のシェアはない。スキル、お金、移動、モノ、空間に関するサービスはあっても、相互の依存関係とそれを仲立ちする労働という社会性、そしてそれをもとに成り立つはずのコミュニティは、どこにもない。なにかをシェアしてつながりたいという願望はSNSを中心にして広く行き渡っている。しかしその願望のシェアは、生産性革命の文脈にあるシェアリング・エコノミーにおいて都合よく搾取され、願望が願望の対象となるべきもの(社会)に届くことはない。” - Platform Capitalismとも近い - "スマートシティの居住者は、その機序を知らないまま入力と出力の情報だけを得ながら生活する。通話ボタンを押せば通話は成立するが、どのように通話が成立しているのかは知らなくて構わない。【Image 16】に見られるような入力と出力のあいだを媒介するアルゴリズムは人間にとってブラックボックスのままであるにもかかわらず、スマートな生活は実現してしまう。魔術のように。コンピュータがもたらす全体最適化による全体主義のなか、「近代の人間的倫理を上回る全体最適解」(註45)が得られる。ヒトとモノ、自然とが一体となって生まれる新しい技術的・宗教的・魔術的自然を、メディアアーティスト・落合陽一は計算機自然、あるいはデジタルネイチャーと呼ぶ(註46)。だが、ウォッシュバーンの指摘が正しければ、スマートシティの最適化の世界のなかで、わたしたちはいずれ、解を導き出す過程が不明の「デジタルネイチャーの技術的自然選択」(the techno-natural selection of digital nature)に晒されることになるだろう(註47)。" - "スマートシティ構想でシェアされていないものとは、スマートではないものである。" - 未来都市アトラス - 4.全てが最適化されたとき(ウォッシュバーン) - [https://tinylab.me/atlasoffuturecities/text/section4.html](https://tinylab.me/atlasoffuturecities/text/section4.html) - スマートシティからWikitopiaへ([[竹内雄一郎]]) - [https://www.jstage.jst.go.jp/article/sicejl/58/8/58_588/_pdf](https://www.jstage.jst.go.jp/article/sicejl/58/8/58_588/_pdf)