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@ -48,5 +48,26 @@ date: 2024-04-04 16:35
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- 細川周平「近代日本の音楽百年」も川崎弘二「日本の電子音楽」も、巨大な辞書としての性質が強いので、死ぬほど分厚くリファレンスも一次資料が多く、追跡可能なのはインデックス的に使うため
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- 浅く広くある日本における音楽の流れを捉えるための視点をいろんな人に提供したい、ということであれば、「どの視点で見ているか」を中心に据えればよく、通史を名乗る必要はない
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- ここは本著ではイントロで結構明確に示されている
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- "様々な資料で下調べをするなか、邦楽史にとって根底を揺るがすターニングポイントは、明治時代であると確信した"
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- "様々な資料で下調べをするなか、邦楽史にとって根底を揺るがすターニングポイントは、明治時代であると確信した(p11)"
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- 動画の解説を見ていても、結構やろうとしていることは日本音楽を(ややマイルドに)ポストコロニアルな視点で捉えようとしているのでは、と読めた
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- 実際第4章後で「戦後の旧植民地での大衆音楽」という寸評も挟まっている
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- この辺の輸入された音楽観と日本国内で培われた独自性、のような対立が昭和や平成以降できちんと機能していないので、後半に行くほど歴史的イベントの羅列になっていく
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- 一応、ゴールは第7章序盤で示されている
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- "J-POPは、伊澤修二率いる音楽取調掛による改革以降、揺れ動いてきた日本人の音楽観が一二〇年以上をかけてようやく着地した地点ともいえる"(p397)
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- が、ボーカロイドについての言及で7章は終了し、全体の変遷の振り返りとかがなく終わってしまうのはちょっと勿体無いと思った
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- 自分の専門に引きつけて言えば、日本の電子楽器産業についての言及に関してで
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- 音楽通史という中で日本が電子楽器でさまざまな成功を収めてきたことや、カラオケ文化などに触れられてるのはよいことだと思う(過度にアーティスト中心主義でない)
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- 一方、日本の楽器産業が成立したのはそれこそヤマハが明治期にオルガンという西欧楽器の輸入で始まったこととかも含めて、メインの主張の中でもっと話されてもよいと思う。
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- 独特の電子楽器の誕生とは並列してエレキギターのグレーな安物クローンモデルの製造があったこととかも。
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- 電子音楽の話し方全体で言えば、電子音楽の起源としてシュトックハウゼンやシェフェールという作家の名前を挙げることよりも、BBCやNHKの電子音楽スタジオの話やRCA、モーグなど企業を中心に話したほうが社会的背景との接続はうまくいくように思う。
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- 結局、作曲家、実演家を中心にしないと膨大な通史が書けない、というのがそのまま大衆音楽という概念の成立条件を示すことになっている
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- 前半はいくつか歌詞が引用されてそこから時代背景を読み解く表象分析っぽい書き方があるが、後半に行って井上陽水「傘がない」以降は出てこない。
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- そういった質的分析をする書き方でない部分は、「注目を集めた」「成功を収めた」「影響を与えた」という量的な書き方が中心になる。
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- そうなると、ノイズやアンビエントなど、メインストリームでないジャンルについての記述は既存の批評の編纂になる。(p353~357)
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- 日本のアンビエントが海外からの批評で規定されてきている話はかなり自己言及的な構造になってしまっている
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- そのほか気になったところ
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- プログレの項(p332)で「一柳慧作曲オペラ横尾忠則を歌う」 や小杉武久のタージマハル旅行団が紐づけられてるのは正直こういう通史でもないと書けないし結構新鮮に感じた
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- が、「当時のロックに漂っていた自由で実験精神旺盛な気風は、ロックミュージシャンに限らない広範囲の芸術家を惹き寄せ」たからこういう作品が出てきたかと言われれば、そんなことないでしょと思う
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- あえて紐づけるなら、60年代の冷戦時代が、一方ではテクノロジーによる人間の進化という風潮をもたらしロックで言えばプログレに反映され、他方ではベトナム戦争への反戦運動、官僚的テクノロジーからの脱却という運動の一部として次の項に書かれているパンクが位置づけられるのであって、一柳や小杉のようなフルクサスど真ん中の人たちはどちらかといえば後者(反形式)d
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