diff --git a/content/ないこともない-デミというラベルの存在する意味.md b/content/ないこともない-デミというラベルの存在する意味.md index 40e1bc45..912d8d45 100644 --- a/content/ないこともない-デミというラベルの存在する意味.md +++ b/content/ないこともない-デミというラベルの存在する意味.md @@ -106,13 +106,15 @@ Aro/Aceが典型的に経験するものと共通していて、デミの場合 アライとしての態度はもちろん必要なことだと思うんだが、どうしても誰かが不条理を経験する社会を構成している一因である=自分も当事者の一人であるという意識を遠ざけてしまう、マイノリティはあくまで他者であるという意識を作ってないだろうか。本当に今まで生きてきて一度たりとも、なぜか恋愛をしないやつは可哀想なやつである、みたいなことに疑問を一度も覚えなかった人はいるのだろうか。(まあ、いるんだろうけど…) -Demisexual/Demiromanticという言葉を私が知った時に感じた違和感は、「それってフツーのことじゃなかったの、おかしなことなの?」というものだった。それはまあ半分は合っているんだけど、その辺の話を積極的に人に言うこともなく一人でグダグダと考えてきた結果、実のところその根本には「自分もマイノリティの側にカウントされなきゃいけないの?」という恐怖感でも合ったのではないかという結論になった。今にしてみれば、「マイノリティ=可哀想なやつ」という意識が見え見えのなんとまあ驕った態度であろうか、という話だ。 +Demisexual/Demiromanticという言葉を私が知った時に感じた違和感は、「それってフツーのことじゃなかったの、おかしなことなの?」というものだった。それはまあ半分は合っているんだけど、正面切ってそれってフツーのことだよね、と言い張る自信はなく。つまりうっすら自分にそのラベルが付くことへの不安があったのだ。 + +5年近くグダグダと考えてきた結果、実のところその根本は「自分もマイノリティの側にカウントされなきゃいけないの?」という恐怖でもあったのだろうという結論になった。自分では全然アライのつもりでいたけど、「マイノリティ=可哀想」の意識が染み付いていることにようやく とはいえ、友達でも、オンライン上のコミュニティであっても(Demiという言葉を使うにせよしないにせよ)自分はどう性愛/恋愛規範を捉えているかを表明する、表に出す、もっというとカムアウト?するのに相当なハードルがあるのは事実で、それはレズビアンやゲイ、トランスという言葉が今ほど受容されてなかったり、その言葉がそもそも存在しなかった時代に自分のことを説明するときの恐怖にそれなりに近いのでは、と思うことはある。 -…もちろん、今のトランスヘイトの状況などを踏まえれば、Aro/AceやDemiを表明することが直接的に生存を脅かすような自体になることはあまりなさそうだし、自分にはトランスの苦しみがわかる、などと言うつもりは全くないのだけれども。もちろん、Aro/AceやDemiの場合でも例えばレイプの正当化や事実の無効化(「これはあくまでお試し/訓練だから」)のような深刻な問題につながる場合も存在しているので、Aro/Aceの問題の方が軽いとか重いとかいうことでもない。 +…もちろん、今のトランスヘイトの状況の度し難さを見てしまうと、Aro/AceやDemiを表明することが直接的に生存を脅かすような自体になることはあまりなさそうだし、自分にはトランスの苦しみがわかる、などと言うつもりは全くないのだけれども。ただ、Aro/AceやDemiの場合でも例えばレイプの正当化や事実の無効化(「これはあくまでお試し/訓練だから」)のような生命の危機に近い問題につながる場合もあるわけで、Aro/Aceの問題の方が軽いとか重いとかいうことでもない。 -自分が当事者であるというにはおこがましいといまだに思う。しかしその「おこがましさ」とは自分が安全地帯にい続けていることの逆説的証明でもある。 +自分が当事者であると言うにはおこがましい、と未だに思う。しかしその「おこがましさ」は自分が安全地帯にい続けていることの逆説的証明でもある。 すなわち、やや大袈裟にいうと、Demiという言葉の一つの役割は、「自分はシスヘテロなんで」というマジョリティの側にいると思っている人たちを引き込むということなんじゃあないかと思う。