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松浦 知也 Matsuura Tomoya 2024-04-04 17:15:51 +09:00
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@ -0,0 +1,52 @@
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date: 2024-04-04 16:35
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#book
にほんのうた 音曲と楽器と芸能にまつわる邦楽通史、[[みの]]著、2024年、KADOKAWA
本人による動画シリーズ [邦楽通史解説 - YouTube](https://www.youtube.com/playlist?list=PLvnMM0grbLzzMMUxzl8e3khI2v7g9dQs-)
前著:戦いの音楽史 逆境を越え 世界を制した 20世紀ポップスの物語
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## 反応
[[細田成嗣]]さんによる批評
[https://x.com/HosodaNarushi/status/1769779522939891895?s=20](https://x.com/HosodaNarushi/status/1769779522939891895?s=20)
「間口を広く通史を記述する」という目的とのミスマッチ
その後の動画 [「邦楽通史」はなぜ炎上したのか - YouTube](https://www.youtube.com/watch?v=vVxKnLdDfyw)
## 感想
- すでに散々指摘されているが、引用の番号が振られてないので、どこまでが一次資料でどこからが二次資料の引用なのか、そしてどこからが自説の開陳なのかが区別がつかない
- もちろん、全ての項目に逐一どの文章から引いてきたのかを明示するのは大変だし、ページの量も増えるし、その分価格が上がって敷居も上がり読みづらくなる
- 広く浅くを極めるのであればこの形に落ち着くのはわからないでもない
- が、やはり日本の音楽通史という壮大なプロジェクトの議論のたたき台として使ってもらうなら、(特に二次資料として個別の文献を編纂してきた)先人へのリスペクトは大事
- 多少荒っぽくても議論の種を作るのがまず大事という思想であれば、イントロで批判しているジュリアン・コープ「ジャップ・ロック・サンプラー」と同じ穴のムジナではないか
- 自説の検証作業をより個別の専門家に半強制的に委嘱することにならないか
- そもそも統一した日本の音楽史のコンセンサスがないので議論出来るきっかけを作ろうというならシンポジウムや研究会を開けばよい
- 本はどうしても持続性の強いメディアなので、いっぺん出たものは残ってしまう
> 『にほんのうた 邦楽通史』 実はそこそこ大胆な自説を若干数含むんだけど、まだバレてない。
> [https://x.com/lucaspoulshock/status/1768608448231723084?s=20](https://x.com/lucaspoulshock/status/1768608448231723084?s=20)
普通に「ここが自分にとってはオリジナルな自説です」というのを開示した上で話す方がよかったです。
---この辺からあまり賛同する人がいるかわからない話---
- そもそも、現在においてあるカテゴリの膨大な量の通史を、書籍というフォーマットで、個別の事実のインデックス以外の目的で編纂する意義を実はそこまで感じない
- 細川周平「近代日本の音楽百年」も川崎弘二「日本の電子音楽」も、巨大な辞書としての性質が強いので、死ぬほど分厚くリファレンスも一次資料が多く、追跡可能なのはインデックス的に使うため
- 浅く広くある日本における音楽の流れを捉えるための視点をいろんな人に提供したい、ということであれば、「どの視点で見ているか」を中心に据えればよく、通史を名乗る必要はない
- ここは本著ではイントロで結構明確に示されている
- "様々な資料で下調べをするなか、邦楽史にとって根底を揺るがすターニングポイントは、明治時代であると確信した"
- 動画の解説を見ていても、結構やろうとしていることは日本音楽を(ややマイルドに)ポストコロニアルな視点で捉えようとしているのでは、と読めた