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- デザイン連合、軽いコミュニティのような小規模の連帯がこの本の中での重要な部分だと思うが、デューイは一方で「一人で早く行く」的な経済合理性に任せた思想を、あくまで個人主義と自由主義を掲げる立場から(それらは"古い"個人主義である、という形で)否定してきたと思います。
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1. デザイン連合、軽いコミュニティのような小規模の連帯がこの本の中での重要な部分だと思う一方、デューイは一方で「一人で早く行く」的な経済合理性に任せた思想を、あくまで個人主義と自由主義を掲げる立場から(それらは"古い"個人主義である、という形で)否定してきています。
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> あらゆる行為は、新たな選択決定を要求する新しい視野を創出する。長期的にみて個人が事故を見失っているように見えるとすれば、それは彼が無責任であることを選んだからである。そして彼がまったく意気阻喪の状態にあるとすれば、それは彼が安易な寄生の道を選んだからである。(p108, "[[新しい個人主義の創造]]"(1930)- アメリカ古典文庫13 ジョン・デューイ 1975年 に収録、[[明石紀雄]]訳)
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> あらゆる行為は、新たな選択決定を要求する新しい視野を創出する。長期的にみて個人が事故を見失っているように見えるとすれば、それは彼が無責任であることを選んだからである。そして彼がまったく意気阻喪の状態にあるとすれば、それは彼が安易な寄生の道を選んだからである。(p108, "[[新しい個人主義の創造]]"(1930)- アメリカ古典文庫13 ジョン・デューイ 1975年 に収録、[[明石紀雄]]訳)
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この辺の文章は結構厳しいこと言うなあと思いつつ、私たちはこの10年くらいで過度なつながりによるダメな連帯のようなものも目撃してきたわけで、雑な連帯の前には責任ある(そしてできればなるべく以上で尖った)個人の成立が必要なのでは、という直感もあります。
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この辺の文章は結構厳しいこと言うなあと思いつつ、私たちはこの10年くらいで過度なつながりによるダメな連帯のようなものも目撃してきたわけで、雑な連帯の前には責任ある(そしてできればなるべく以上で尖った)個人の成立が必要なのでは、という直感もあります。クリエイティブ・デモクラシーを実現するための個人のあり方はどうあるべきなんでしょうか。
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2. 芸術との接点について。本の中で紹介されているライフプロジェクトや、 「産まみ(む)めも」のようなプロジェクトはソーシャリー・エンゲージド・アートやリサーチベースドアートの作品とも通じる部分が多くあると思います。デザインの分野でいうとスペキュラティブ・デザインやクリティカル・デザインも同様の議論があると思いますが、それぞれの領域との違いや距離感をどう考えますか。
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- 芸術がギャラリーから日常生活へ進出する動きとしてはハプニングやフルクサス、シチュアシオニストのような運動が挙げられますが、それらは日常へ異物として介入するものであって、別の方向として本当に日常の一部になってしまう、という方向もあります。これはデューイの芸術教育の思想とも近いのでその辺りも関係した話ができそうです
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3. テクノロジーとの関わりについて。SmartCitizenKitの例は実践の要素を強めた一種のサイエンス・コミュニケーションのプロジェクトでもありますね。これに似たような事例は他に、特に日本国内では何かあったりしますでしょうか。
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- ところで「Speculate Everything」でダンとレイビーはデザイナーと科学者の協働について、次の4つの関わり方を挙げていました。
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- Design about Science(科学研究から生じる問題や影響について、デザインを通じて考察する)
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- Design through Science(デザイナーが多少たりとも科学を実践する)
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- Design for Science(科学研究を伝えたり、わかりやすく説明したりするためにデザインを用いる)
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- Design with Science(デザイナーと科学の真のコラボレーション)
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- この例をクリエイティブデモクラシーの中に当てはめて考えると、実は「科学研究の当事者がデザイナーになる」というのもあり得るのかな、とか思いました。
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- (最初の個人の話に戻るのですが、)人間一人が一生に学べる知識の量に限りがあると思うと、特にテクノロジーが関わる分野ではある一定以上専門化された知識で作られるインフラに関しては、だれかに委ねるしかない、というところから公共性が生まれてくる(そして、一度形作られたら後戻りが難しい)と思います。この辺の、専門知に対するアプローチってどうすればいいんでしょうね(結論なし)
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