[obsidian] vault backup: 2024-02-06 01:46:14
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This commit is contained in:
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#research
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[[Alan Liu]]
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[DHMS Talk: Alan Liu, "Toward Critical Infrastructure Studies"](https://www.youtube.com/watch?v=2ojrtVx7iCw)
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#stab
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cssclass: research-note
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type: "journalArticle"
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author: "Chun, Wendy Hui Kyong"
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title: "On Software, or the Persistence of Visual Knowledge"
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publication: "Grey Room"
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date: 2005-01-30
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citekey: Chun2005
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tags:
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- research
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- journalArticle
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> [!Cite]
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> Chun, Wendy Hui Kyong. 2005. “On Software, or the Persistence of Visual Knowledge.” _Grey Room_ 18 (January): 26–51. [https://doi.org/10.1162/1526381043320741](https://doi.org/10.1162/1526381043320741).
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>[!Synth]
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>**Contribution**::
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>**Related**::
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[online](http://zotero.org/users/12014264/items/AHKANLBS) [local](zotero://select/library/items/AHKANLBS) [pdf](file:///Users/tomoya/Zotero/storage/IQ2VLFI8/Chun%20-%202005%20-%20On%20Software,%20or%20the%20Persistence%20of%20Visual%20Knowledg.pdf)
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>[!md]
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> **FirstAuthor**:: Chun, Wendy Hui Kyong
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~
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> **Title**:: On Software, or the Persistence of Visual Knowledge
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> **Year**:: 2005
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> **Citekey**:: Chun2005
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> **itemType**:: journalArticle
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> **Journal**:: *Grey Room*
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> **Volume**:: 18
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> **Pages**:: 26-51
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> **DOI**:: 10.1162/1526381043320741
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> [!LINK]
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>
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> [Chun - 2005 - On Software, or the Persistence of Visual Knowledg.pdf](file:///Users/tomoya/Zotero/storage/IQ2VLFI8/Chun%20-%202005%20-%20On%20Software,%20or%20the%20Persistence%20of%20Visual%20Knowledg.pdf).
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> [!Abstract]
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>.
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# Notes
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>.
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# Annotations%% begin annotations %%
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%% end annotations %%
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%% Import Date: 2024-02-06T01:13:09.379+09:00 %%
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content/Sonic Pi.md
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content/Sonic Pi.md
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#programming-language #sound #software #stab
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@ -0,0 +1 @@
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#programming-language #software #tools #stab
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content/TidalCycles.md
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@ -0,0 +1 @@
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#programming-language #software #stab
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@ -46,9 +46,9 @@ Webサイトとの運用方針の違い。
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## 運用方法
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## 運用方法
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### 記事の粒度
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とりあえずそこまで気を使わなくても良さそう。ただしGithub Pagesに公開する時には空のリンクは404になってしまうので、二つ以上の記事から参照されている単語に関しては中身空でいいので記事を作っておくこと
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- 二つ以上の記事から参照されている単語に関しては中身空でいいので記事を作っておくこと
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- 中身のない記事を作った`#stab`タグを付けておく。
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### フロントマッター
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### フロントマッター
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63
content/やや弱いコンピュータ音楽.md
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63
content/やや弱いコンピュータ音楽.md
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@ -0,0 +1,63 @@
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#writings #memo
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2021年ぐらいにWorkflowyで書いてたもの
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- [Computer Music Tutorial - Curtis Roads] 日本語版読者のために
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- 電子音楽は新しいメディアであるとよく言われる。しかし、電気的に生成した音による最初のコンサート(1906年、ニューヨーク市 Telharonicホール)が100年近くも前に開れていることを考えると、電子音楽が新しいメディアという見方はあまり正しくないだろう。電子音それ自体にはもう新規性はなくなってしまった。電子音楽を作るための大がかりな機械装置や設備の操作は、小さな装置を使った半ば趣味のような作業に置き換えられた。そして最も重要なことは、先駆的な作曲家たちがいくつかの金字塔的な仕事を残したことである。その仕事が、これから我々の進むべき道を指し示している。
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- パーソナルコンピュータ時代の到来、サウンドの開放
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- これまで制御できなかった、金鉱は至るところにある
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- 弱いコンピュータ音楽を少しだけ強くする
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- 今日の音楽を生成/再生するにあたって、コンピュータを一度も通らないということはまずあり得ない。
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- 例えば
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- 作曲/録音側
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- 再生側
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- そういう意味では、コンピュータ音楽を「コンピュータを使用した音楽」と定義するのであれば、2021年現在に作られている音楽はほぼ全てコンピュータ音楽ということができるだろう。
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- 録楽との比較
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- これを「弱い」コンピュータ音楽の定義としよう。
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- 一方で、これは現在コンピュータ音楽と呼ばれている音楽作品の集合を表しているかと言われれば、直感的には異なるだろう。
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- (NIMEやICMCで演奏されるようなクラシカルな物はもちろん、例えばパソコン音楽クラブの音楽が直感的に当てはまる、と感じたにしても。)
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- これに当てはまる定義を考えるのであれば、「作者がコンピュータを音楽制作に用いることに自覚的である」あたりが妥当だろうか。
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- これを「強い」コンピュータ音楽の定義としよう。
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- 「弱い」コンピュータ音楽と「強い」コンピュータ音楽の集合は、包含関係でもなければ相互排他関係でも無い。
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- コンピュータというツール([[DAW]]とか)を無自覚に使用している場合は弱い
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- **やや弱いコンピューターミュージック**
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- **作品を成立させるのにコンピューターが不可欠だが、コンピューターを使っていることは作品のユニークネスとは特に関係がない**、という状態
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- 例えばComputerMusicJournalで議論されて来た音楽に関する探究というのは軒並み強いコンピュータ音楽を作るための試みだったと言えるだろう。
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- これまでの音楽プログラミング言語も同様に強いコンピュータ音楽を作るための物だったと言えよう。
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- faust/soul/vultとかは例外として。
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- [[Sonic Pi]]とか[[TidalCycles]]とかはある意味弱いコンピュータ音楽を目指しているかもしれない。
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- これは録音音楽作品の存在論の問題になってくる。sonic piやtidalは楽器を目指しているだろうし、mimiumは楽譜を目指している。
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- 「強い」の限界
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- 2chPCMはほぼなんでもできてしまう問題(WaveNet含め)
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- 手法はともかく、「どう聞こえるか」の問題
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- 大衆化していく先端技術
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- グリッチ
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- グラニュラー
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- 手法そのものが考え方のフレームワークになるわけではない、アウトプットの質感を再生産するためのツールが出てくる
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- [[mimium]]が目指すところは弱いコンピュータ音楽を少しだけ強くするためのハードルを下げることである。
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- なぜハードルが高いのか?
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- 再生環境側を変えられない
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- 制作環境もロックインが厳しい
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- なぜ下げたいのか?
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- 散々OvalとかEnoがチャレンジしてきたにも関わらず増えてこなかったよな
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- あくまでPoppもEnoも自分でプログラミングしているわけではない
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- メタ環境の整備をしなければ人口は増えない
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- 花を咲かせても土の面積が増えるわけではない、みたいな、、、
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- まあでもそれがプログラマー側の/音楽家の怠惰だと糾弾するつもりもない。
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- それが歴史的に必然だっとしか言いようがないし、いい悪いの話ではないから
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- そのほうが面白くなると松浦が思っているから。
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- 強いコンピューター音楽
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- 作品のユニークネスにコンピューターを使用することが関わってくる
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- やや弱いコンピューター音楽
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- **作品を成立させるのにコンピューターが不可欠だが、コンピューターを使っていることは作品のユニークネスとは特に関係がない**
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- 弱いコンピューター音楽
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- 頑張ればコンピューターがなくても実現できるけど、コンピューターを使用することで製作/配布/再生/上演が円滑になる
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- いつか音楽と呼ばれる-はずだった-もの
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- RjDjはなぜ滅びたのか?
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- 後続のアプリはないこともなかったけども
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- 例えばmobmuplat,今もPdPartyとかある
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- Adelayとかhibikuとかはどうだろう?
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- 「万能の器」であるがゆえにムーブメントにはならなかった
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- RjDjはこれが新しい音楽だ!とスタイルを言い切ったのがよかった
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- ただ、スタイルで新しさを定義すると陳腐化して長続きしないのだ
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- これはOvalprocessもまあそんなもんなのかも
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content/ウゾウムゾウのためのインフラ論 - 逆卷しとね.md
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content/ウゾウムゾウのためのインフラ論 - 逆卷しとね.md
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@ -0,0 +1,30 @@
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[[逆卷しとね]]
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[ウゾウムゾウのためのインフラ論 | webあかし](https://webmedia.akashi.co.jp/categories/786)
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- [https://webmedia.akashi.co.jp/categories/786](https://webmedia.akashi.co.jp/categories/786)
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- ”わたしたちはインフラが壊れて初めてインフラの存在を思い出し、それが日常生活の必要条件であることに思い至る。”
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- "事実、インフラは遍在している。" -> ubiquitous infrastructure
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- "インフラの現実的な利用を度外視して、近代化のために道路や橋を建設する現象を難波は「インフラ・フェティシズム」と呼んでいる。「[マテリアリティの政治と「インフラ論的転回」――社会の近代性を支えるヒト‐モノへの問い――](https://taweb.aichi-u.ac.jp/irhsa/2016.9.17WS_report.pdf)」(愛知大学人文社会学研究所 2016年度ワークショップ報告書)53-63頁、及びNambaを参照。"
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- [https://taweb.aichi-u.ac.jp/irhsa/2016.9.17WS_report.pdf](https://taweb.aichi-u.ac.jp/irhsa/2016.9.17WS_report.pdf)
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- "インフラは人間と非人間の二項対立を超える概念であり具体的対象"
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- [The Etymology of Infrastructure and the Infrastructure of the Internet « Hak Pak Sak](https://hakpaksak.wordpress.com/2008/09/22/the-etymology-of-infrastructure-and-the-infrastructure-of-the-internet/)
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- "ボウカーは物質的基盤であるインフラが、人間の社会、生活、イデオロギーに与えている大きな影響を可視化してみせようとしたのである。"
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- Geoffrey C. Bowker. Science on the Run: Information Management and Industrial Geophysics at Schlumberger, 1920–1940. Cambridge, MA: MIT Press, 1994.
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- "けれども、〜〜インフラを前景化する唯物論的アプローチは、インフラをいじれば人間のあり方や生活の利便性、社会性が変わるという工学万能主義的な短絡を全面化することになる。"
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- "ユーザーたちがインフラの生成にいつのまにか勝手に組み入れられる時代において、ユーザーのほうがインフラを勝手に組み直す。これはとてもアイロニカルな試みになる。"
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- "内閣府の説明によれば、Society 5.0とは「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)」"
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- これは[[落合陽一]]的な価値観とも近い
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- コンピューターはここでもinvisibleになるのだろうか
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- カームテクノロジーとスマートシティ
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- Ambient Computingもそうか
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- ”シェアリング・エコノミーを駆動させているのは企業の経済活動である。たとえば、「エアービーアンドビー(Airbnb)」や「中古品のリユースを無料で行うもの(たとえば U-Exchange)、自動車所有者が使わない時間帯だけ貸し出すもの(たとえば Zipcar)、あるいは同じく自動車所有者が近くにいる人を乗せてあげるライドシェアと呼ばれるもの(たとえば Uber)」にはサービスの関係(註39)はあっても、社会性のシェアはない。スキル、お金、移動、モノ、空間に関するサービスはあっても、相互の依存関係とそれを仲立ちする労働という社会性、そしてそれをもとに成り立つはずのコミュニティは、どこにもない。なにかをシェアしてつながりたいという願望はSNSを中心にして広く行き渡っている。しかしその願望のシェアは、生産性革命の文脈にあるシェアリング・エコノミーにおいて都合よく搾取され、願望が願望の対象となるべきもの(社会)に届くことはない。”
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- Platform Capitalismとも近い
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- "スマートシティの居住者は、その機序を知らないまま入力と出力の情報だけを得ながら生活する。通話ボタンを押せば通話は成立するが、どのように通話が成立しているのかは知らなくて構わない。【Image 16】に見られるような入力と出力のあいだを媒介するアルゴリズムは人間にとってブラックボックスのままであるにもかかわらず、スマートな生活は実現してしまう。魔術のように。コンピュータがもたらす全体最適化による全体主義のなか、「近代の人間的倫理を上回る全体最適解」(註45)が得られる。ヒトとモノ、自然とが一体となって生まれる新しい技術的・宗教的・魔術的自然を、メディアアーティスト・落合陽一は計算機自然、あるいはデジタルネイチャーと呼ぶ(註46)。だが、ウォッシュバーンの指摘が正しければ、スマートシティの最適化の世界のなかで、わたしたちはいずれ、解を導き出す過程が不明の「デジタルネイチャーの技術的自然選択」(the techno-natural selection of digital nature)に晒されることになるだろう(註47)。"
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- "スマートシティ構想でシェアされていないものとは、スマートではないものである。"
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- 未来都市アトラス
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- 4.全てが最適化されたとき(ウォッシュバーン)
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- [https://tinylab.me/atlasoffuturecities/text/section4.html](https://tinylab.me/atlasoffuturecities/text/section4.html)
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- スマートシティからWikitopiaへ([[竹内雄一郎]])
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- [https://www.jstage.jst.go.jp/article/sicejl/58/8/58_588/_pdf](https://www.jstage.jst.go.jp/article/sicejl/58/8/58_588/_pdf)
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59
content/ソフトウェアは書き換えられる時にだけ存在する.md
Normal file
59
content/ソフトウェアは書き換えられる時にだけ存在する.md
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@ -0,0 +1,59 @@
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#research #writings #software
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「ソフトウェア」とはなんだろうか。
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デジタル・人文学の中でもソフトウェアを扱う時には、そもそも「ソフトウェア」とは何を指すのかがしばしば問題となる。
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ソフトウェア研究に登場する話題についてアルファベット順で各著者が論考を寄せたフラー編「software studies /a lexicon」(2008)ではそのタイトルにもかかわらず「Software」の項はない。近しいのはドイツのメディア研究者フリードリヒ・キットラーによる「Code(or, How You Can Write Somthing Differently)」という項、ジョアシア・クリサとグルジェジーク・セデックの「Source Code」という項である。
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他に対して網羅的な調査をしている訳でもないのだが、ソフトウェアについて人文学的に研究することの重要性が繰り返し謳われる(例えばレフ・マノヴィッチ)わりに、「そもそもソフトウェアとは何か」という問いに正面切って切り込んでいる論考は意外なほど少ない。
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そのわりに、前述したキットラーによる「[[ソフトウェアなど存在しない]]」では
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> つまり、常に操作可能な抽象レベルという普通の意味におけるソフトウェアは存在しないのである。このようなマシンは、なるほどまだアルゴリズム的文字化も可能であるが、本質的には、物質的基盤にのっとって稼働せざるをえないわけで、接続すればセルは交互に再構成されることになる再構成されることになる
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キットラーの「書き込みシステム」とは、要するにその時代時代に応じた社会を駆動するためのメディア装置であり、それが1800年代には文学であり、1900年代にはフィルム・グラモフォン・ライプライターであり、2000年代にはソフトウェアだったということである。
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「ソフトウェアは存在しない」という文章は、コンピューター研究におけるハードウェアへの着目の薄さを覆すものとして読まれているが、これはその実「ソフトウェアの定義とは昔から考えてきた『書き込みシステム』そのものではないか」という、ソフトウェアの定義論への正面切った論考として読む方が良いのではないだろうか。
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キットラーの「ソフトウェアなど存在しない」がハードウェアに焦点を当てるものとして読まれる一つの理由は、ソフトウェアとは何かについて正面切って書いたもう一つの有名な論考、ウェンディ・フイ・キョン・チュンの"[[On Software, or the Persistence of Visual Knowledge]]" (2005) にもあるように思う。この論考でのキットラーの引用はざっくり以下のように切り取られている。
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> Friedrich Kittler has more forcefully argued, “there is no software” since everything reduces to voltage differences as signifiers.
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ENIACのようなケーブルを繋ぎかえることもプログラミングだったから、コードを書くことがソフトウェアではない
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今日エンジニアが日常的に使っている「ソフトウェア」とは何を差しているのだろう?今日においても、「ハードウェア以外のコンピューターに関わるあらゆる要素全て」でいいのか?
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「プログラム」
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「コード」「ソースコード」
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「アセンブル」「コンパイル」
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関数を一切書いてない、マクロ定義とかだけのファイルは「ソフトウェア」か?
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ソフトウェア
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キットラーやチュンが論考を書いた頃から、ソフトウェアのテキストとしての再利用可能性は全然別のレベルになっているのではないか
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ソフトウェアのバベルの塔が高くなるにつれ、その実態を知覚することが不可能になっていくというのがキットラーの主張。なぜならコンピューターの処理速度は人間の知覚の限界をゆうに超えるから。
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若干横道に逸れるけど、じゃあクロック1Hzごとにゆっくり動くリレーコンピューターがあったとして、それでテキストデータをコンパイルしたとして、その中身は知覚できるんだろうか?
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現代に置いてどんどん高度に抽象化した言語ができた結果、コードの再利用性は高まりプラットフォームを飛び越えることも大きくなってきた。
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長い時間をかけた機能変化
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クラスとかインターフェースとか、モジュールとか、その辺の機能って高効率化じゃなくて明らかに人間が整理しやすくするための機能
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一回きりのコードとして書くならC言語でもなんとかなるけど、メンテナンスで書き換えなきゃいけない場所の局所性が変わる、機能の分離
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=書き換えるタイミングになって初めて便利さが実感できる
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**ソフトウェアとは時間をかけてゆっくり変化していくものである**という認識は割と最近だけど、エンジニアにとってはもはや当たり前の風潮で、でもいまいちソフトウェア人文研究者には伝わってない気がする
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SubversionとかGitとかが普及して以降の世界観
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1
content/ダナ・ハラウェイ.md
Normal file
1
content/ダナ・ハラウェイ.md
Normal file
@ -0,0 +1 @@
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#person #stab
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106
content/デジタルネイチャー - 落合陽一.md
Normal file
106
content/デジタルネイチャー - 落合陽一.md
Normal file
@ -0,0 +1,106 @@
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#book
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(昔のWorkflowyよりコピー)
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[[落合陽一]]
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- オーグメンテッド・ヒューマン/サイボーグ
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- 計数的な自然と、[[ダナ・ハラウェイ]]の批判を並べる
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- 言語=モデルの制約の話が出てくる
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- 池上さんのマッシブ・データフローとかと近い
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- 言語遊びをやめろ!/人間中心主義からの脱却とも見える
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- でもやっぱそれは短絡的な思考放棄でしか無いんだな〜と思う
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- その意味では私は人間中心主義だな〜
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- なんで「魔法の世紀」では人工知能の話しなかった??あ??というオラつきが
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- "遠からず実現するであろう、〈自然〉を〈デジタル〉によって調停し、然びたデジタル計算機とそれに適応した人類によって人為と自然の融和を促すテクノロジー。その力を借りることによって僕たちは、より鮮明な世界への確信へと至るだろう。"
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- 自然と機械の区別が付かなくなるっていうのは、二元論に立っているからこそできる議論に読めるよなあ
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- 間主観性の視点が無いように読める
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- ヘーゲルっぽい
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- end to endはいいとして、最適化のendの軸/次元を設定するのは誰か?という問題
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- メディアアーティストとしてのエジソン
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- [[フォノグラフ]]の概念自体は社会的に構築されたものだよねえという
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- "現代の我々が自明のものとしている〈近代〉が、19世紀後半から20世紀初頭にかけて生まれた多様な社会、メディア、コミュニケーションの可能性の、一つの帰結に過ぎないことを明らかにしているからだ。"
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- なるほど[[メディア考古学]]っぽいし、[[スペキュラティブ・デザイン]]っぽくもある
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- フォーディズムとの対立
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- プラットフォームキャピタリズムの話
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- "トヨタやソニー、Appleといった企業の製品に継承されているのた"
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- え・・・?
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- フォーディズムとトヨティズムは真っ先に対立して語られるよね
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- そしてAppleのプラットフォーム・キャピタリズム
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- Beyond・フォーディズム
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- 生産の個別化
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- パーソナル・ファブリケーション
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- でも、主体的に市民が、というよりはでかい企業が個別最適製品を提供する、的なイメージかな
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- 「多様性を損なわない最適化」
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- 本当にできるのか?
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- 画一化からは脱却できても、優先順位が付けられるだけじゃ無いのかなあ
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- Personalizedというよりは、Parameterizedというべきだろう
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- ベーシックインカム型orベンチャーキャピタル型
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- リスクを取るほどにモチベーションが上がる
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- 誰もが独自の視点を持つような社会なんて可能なのか?
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- 人間は愚かではいけないという価値観がありそう
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- どうにも、今後はともかくこれからしばらくは「頑張らないとAIに仕事取られちゃうよ」的な言説や自己責任論と大差ないように聞こえる
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- ウィーナー
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- ていうかウィーナーに対する批判なんていくらでもあったのにね
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- "「人間を機械化する議論」と「自然と文明を計算機で接続する議論」は、ちょうど対偶の関係にある"
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- ウィーナーの人間機械論はフォーディズムに対するアンチテーゼでもあるはず
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- プロトコルによる支配-ドゥルーズの戦争機械やギャロウェイの批判
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- [https://kotobank.jp/word/%E6%88%A6%E4%BA%89%E6%A9%9F%E6%A2%B0-1555226](https://kotobank.jp/word/%E6%88%A6%E4%BA%89%E6%A9%9F%E6%A2%B0-1555226)
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- AIによる魔術化()
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- バーマン [[デカルトからベイトソンへ]]
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- ワイザーのユビキタス
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- そしてAmbientへ
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- ユビキタスの次に、Computational Fieldの世界
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- EndtoEndの物理的な相互インタラクションを、物性的機能*98として、いわば通信と制御の理論でウィーナーが考えた世界を、波動と物質と知能の三つ巴の関係でEndtoEndに解釈していくのが、僕の考えている「自然」である。
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- Unusual Computing
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- つまり、インフラ的な変化を予見しつつ、あくまで自分はそれを可能にするようなインターフェース研究の実装に徹する
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- では、「Interface」=境界面とはなんなのか、、、
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- 人工知能と人工馬鹿、 集合知と衆愚
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- "「現象to現象*108」の多大な可能性が、言語化した瞬間に人間に理解可能な空間に縮退されてしまうのだ。この問題は古くから指摘されてきた。"
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- 引用しろよ
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- ヴィトゲンシュタインのことだろうか?
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- "ウィトゲンシュタインが問題視しているのは,あくまでもこういった価値の問題 について語ることなのである。とは言え,価値の問題について一切語らないというのは,あまりに消極的・ 禁欲的な態度ではある。しかしウィトゲンシュタインは,次のようにも言っている。
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- だがもちろん,言い表しえぬもの(das Unaussprechliche)は,存在する。 それは,示される (sich zeigen)。それは,神秘(das Mystische)である。 (TLP, 6.522)
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- すなわち,語りえないものについて語ることはできなくても示すことはで きる,と言うのである。しかし,ここで言われている「示す」とは,一体どういうことなのか。「示す」と「語る」とは,どう違うのか"
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- イルカ
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- "実は、この問題を別の方法で解決している生物がいる。イルカやクジラなどの海洋哺乳類だ。彼らは2000万年もの間、海中でコミュニケーションをしてきた。〜(中略)〜そして、彼らの伝送系で発達したのは「言語」ではなく「プロトコル」による直接転送だといわれている(イルカと話す日、リリー)"
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- これはだいぶリリーが偏っていそうな、、
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- 世界の再魔術化
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- バーマンが指摘するのはプロセスの複雑化が知覚を超越するからということなのではなかろうか
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- "その卓越した科学的思考力にもかかわらず、ベイトソンは、知の大半はアナログ的であること、現実は部分にではなく全体の中に存在すること、分析的解剖ではなく没入(一体化〈ルビ:ミメーシス〉)こそが叡智の始まりであることを直感的に悟っていたのである。"(デカルトからベイトソンへ 271p)
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- "したがって、サイバネティクス理論によれば、我々が何かを知ることができるのは、そのコンテクストのなか、すなわちその何かと他のものとの関係のなかにおいてのみである。"(289p)
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- あと単純にエントロピーの増加=混ざったミルクコーヒーをミルクとコーヒーに分解することができない
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- ベイトソンの学習1、学習2(ゲームの理解)、学習3(ゲームが実は恣意的なものであることを知る)
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- プラットフォームによる平衡が崩れた情報保持**=もとに直せる魔術**というものとは分けて考えるべきなのではないか
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- オープンソース
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- マルクスとウェーバー
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- マルクス:下部構造が上部を作る
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- ウェーバー:上部の文化が経済を作る
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- "かつて「プロテスタンティズムの精神」という上部構造の作用による資本主義の誕生をウェーバーは記述しようとしたが、デジタルネイチャー化する世界において、このプロテスタンティズムに対応する共通プロトコルとしてのイデオロギーに与するものはオープンソースの精神である。"
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- プラットフォームができると、共有財であるソースコードが投下され
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- ・・・されてるか?
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- オープンソースはそもそも評価経済的なものとしてだけ行われているわけではない
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- 「その方が企業の利益になるから」やってるやつもある
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- オープンソース活動がフルタイムの仕事になる仕組みの話 [https://note.com/ruiu/n/n5ef32cf70074](https://note.com/ruiu/n/n5ef32cf70074)
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- 逆に、[[SuperCollider]]のようなボランタリーなプロジェクトをどう捉えるか
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- あるいは[[LLVM]]のような大学発のOSSはいくらでもあるが、そういうのが経済の中で使われまくることへの位置付けは
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- "新しく現れた知見や技術は、〈受益者負担〉のオープンソースに取り込まれ、社会の共有財産であるインフラや「下駄」の一部となり、市場価値はリセットされる。"
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- "オープン化したソフトウェアがもたらした、万人に開かれた知識と技術の「下駄」。それに追従する人間が多いと、インターネットは全体主義的(機械知能と人間知能の相互干渉による全体最適化的探索システム)になっていく。"
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- "ただし、ここでいう全体主義というのは、20世紀前半の全体主義とは明確に区別されるべきものです。前世紀の全体主義が「民主主義に由来する全体主義」とすれば、これは「全体最適化による全体主義」といえるでしょう。"
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- [落合陽一「デジタルネイチャーと幸福な全体主義」 第5回 機械の時間と最適化された世界(前編)【毎月第1木曜配信】 | PLANETS/第二次惑星開発委員会](http://wakusei2nd.com/archives/series/%e8%90%bd%e5%90%88%e9%99%bd%e4%b8%80%e3%80%8c%e3%83%87%e3%82%b8%e3%82%bf%e3%83%ab%e3%83%8d%e3%82%a4%e3%83%81%e3%83%a3%e3%83%bc%e3%81%a8%e5%b9%b8%e7%a6%8f%e3%81%aa%e5%85%a8%e4%bd%93%e4%b8%bb%e7%be%a9-3)
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- "逆に、オープンソースの思想がそこまで力を持たなかった場合、インターネットは従来の資本主義性を強める。"
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- ”この二つの社会は、両者の均衡を保つだろう。”
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- いやー、実際はオープンソースが進んでも、近代的全体主義の支配の論理が台頭しちゃうでしょう。悪魔合体する可能性の方が高い
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- ”ここで、プラットフォームとオープンソースを、対立構造ではない観点から見てみよう。オープンソースによって社会が少しずつ変化すると、それによってプラットフォームの構造も変わってくる。例えば、Googleの情報検索のアルゴリズムやFacebookのソーシャルグラフのソースコードは、現在オープンソースとしては公開されていないが、その代わりにAPIが提供されることによって、外部のプラットフォームから自由にその機能を利用できるものも多い。要するに、自由に価値を提供したり、逆に価値を享受できるような枠組みが共有されるようになってきたということだ。こういった枠組みも「シェアリングエコノミー」や「ソーシャルグッド*135」といった風潮を支えている。”
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- APIとしての提供は結局のところ送り手と受けてという二分を行うからなあ
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- "いずれあらゆる価値は、分散型の信頼システムとトークンエコノミーの価値交換手法によって技術に対しての投機マネーと接続され、オープンソースと資本主義市場の対立は、より密な経済的連携によって安定した構造へと軟着陸するだろう。"
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- なんでこういうとこだけ楽観的なんだろうなあ
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- "人類は生まれながらに平等であり、不平等は是正されなければならず、「男女に」平等な権利が与えられるべきである。これらの倫理は、確かに聞こえはいいが、AIによる最適化が可能になった世界では、必ずしも最適解ではない。一人一人の人間を均等に分割するような平等観は、全体最適化がリソース的に不可能であった時代の「最良の努力」であったというだけだ。"
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- オルタナティヴはプラットフォーム圏域を突破する
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- 前著『魔法の世紀』では、アメリカの社会批評家モリス・バーマンの「高度化したテクノロジーが世界を再魔術化する」という指摘を紹介したが、ここでいう「魔術化」は「プラットフォーム化」(市場を寡占した共通システムの内部に無頓着のままその共通言語と化したシステムを利用可能であること。メカニズムについて理解した個人がそのシステムを変更できる自由を保持していないにもかかわらず、環境としてその仕組みを受け入れている状態。プラットフォームの条件の一つが魔術化ということもできるはずだ)と言い換えることもできる。
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- Computational Diversity
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- 今後、標準的な人間観に準拠した価値は全体から見れば後退する。視力が低いのならセンサーやディスプレイを埋め込めばいいし、腕の欠損には高機能義手を付ければいいのだ。テクノロジーが人間の欠損を補完しうる社会では、人間のあらゆる差異はパラメーターの問題に帰着するはずだ。
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- ”完璧”な人間を「補完」するテクノロジーという上から目線
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- なんで健常者に体を合わせてやらんといけないのだ
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- それは結局多数決の論理であり、近代民主主義の論理だよな
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- "しかし、今後の社会で求められるのは「わらしべ長者」的な働き方だ。何の変哲もない藁に虻をくくり付けることで新たな価値を生み出し、その藁をいかに別の価値と交換するかという発想が求められている。"
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content/松浦和雄.md
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content/松浦和雄.md
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#research #person
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[[松浦知也]]の曽祖父。楽譜がいっぱいあるのでスキャンしなければならない
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石田一志「モダニズム変奏曲 東アジアの近現代音楽史」
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p227
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> 岩野〔『王道楽土』の著者〕の調査によると、国策に沿った委嘱作品の初演も幾つかある。しかし、それらは内地在住の日本人作曲家たちへの委嘱作品であって、満州での生活体験を背景にして作曲されたものは少ない。その点が、日本人の近代文学史の中に特別な頁が組まれることもある「外地文学」とは異なるところである。
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> 新京交響楽団(一九三五年設立)が、一九四三年東京で開催された「大東亜会議」における、アジア解放のイデオロギーに協賛して、「満州の土俗、生活、文化を題材とする国民主義的作品の創作」を趣旨に、「闘う満州」を統一テーマとしておこなった作品委嘱は、大規模なものであった。岩野は太田忠、八木傳、早坂文雄、大貫義郎、渡辺浦人、サントス(新京楽団員、フィリピン)、伊福部昭、松浦和雄、大中寅二、深井史郎、紙恭輔、小船幸次郎、大木正夫による、二一作の管弦楽曲があることを、報告している。
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岩野 「王道楽土の交響楽」
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p276
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> 満州に伝わる音楽のルーツを辿る作業が進む一方で、新しい「国民音楽」を産み出そうという動きは「官製団体」の結成へとつながっていく。四三年三月一〇日に発足した「満州作曲家協会」は、これまで愛好家の任意団体だった「満州作曲研究会」が発展的に解消したもので、委員長は引き続き野口五郎がつとめた。
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p289~291
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> 一九四三年一〇月。長らく低迷が続いていた新京音楽団に、ついに改革のメスが入る。
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> 新京音楽団が『闘う満州』の一環として委嘱した作品の全貌については、これまでまったく調査研究がなされていないが、現時点で筆者が把握しているのは、以下の通りである。
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> 〜
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> 松浦和雄 序曲《満人青年に寄す》(一九四十五年七月作曲)
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> 〜
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> *松浦和雄と大中寅二の「対満人向け楽曲」は、一九四五年度の新京音楽団計画事業の一環として作曲された。
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戸ノ下/長木 「総力戦と音楽文化」
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第3章 南方占領地域での日本による音楽普及工作(長木誠司)
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第4章 日本人作曲家の「日本的」作曲ー一九三〇年代の創作理念(熊沢彩子)
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p103
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> 作曲家という職業が定着し、さまざまなジャンルで活動を展開するようになるなかで、一九三〇年頃には新興作曲家連盟に代表される多くの作曲家団体が結成され、日本の作曲界にある種の転換期が訪れた。
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105
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> 例えば山田耕作が一八八六年生まれで当時四十代だったことを考えると、新しい作曲家団体は、年齢幅が広いとはいえいわば第二世代ともいえる若い人々によって運営されていたことがわかる。
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> 〜
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> 第二に、第日本作曲家協会の構成員がすでに作曲の対価として金銭を得ている者の集合であったのに対し、新興作曲家連盟をはじめとする新しい団体のメンバーは、その意味では当時はほとんどがアマチュアだった。箕作秋吉は当時、海軍技術研究所に勤務しており、伊福部昭も北海道で森林事務局の林務官を務めるなど、主な収入源を音楽活動以外で得る者も少なくなかった。
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> 第三に、大日本作曲家協会の構成員は、この時点でほとんどがいわゆる「官学」である東京音楽学校出身であったのに対し、新しい作曲家団体のメンバーは、ほとんどがいわゆる「在野」で、東京音楽学校以外で訓練を積んだ作曲家だったといわれる。もっとも、東京音楽学校に作曲家が設置されるのは一九三一年なので、作曲家の作風や志向の相違が出身学校によって決定づけられたとは必ずしもいえない。ただ、この「官学」「在野」という分類は、特に「在野」側の作曲家にとって、自らの立場を説明する際によく用いられたいた。
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2022/09/13 芸大図書館の人との話メモ
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寄贈について
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- 自筆譜の場合、寄贈の検討ワーキングがある。
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- 先生方3~4人で資料の価値を精査した上で判断。
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点数がめちゃいっぱいある場合は概要と写真だけつけるとかもあるが、〜30ぐらいなら全部の作品リストを作った方が早いかも。
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こっち側で調べておいた方がいいかも
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資料保存器材 オーダーメイドの中性紙箱
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https://www.hozon.co.jp/archival/product_slim_1.html
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つまりーーやることとしては、
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- 楽譜のサイズと厚み、数をまとめる
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- 中性紙ボックスを発注
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- 写真アルバムはどうするか?
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- 枚数のわかるやつからスキャンを進める
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- リポジトリの作成
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- Git LFSかな?
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- 最終的にホストするときにはarchive.orgを使えば良さそう
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- pythonで上げられるっぽい <https://archive.org/services/docs/api/internetarchive/>
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- これならDockerでまとめて管理もできそうだな
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- 目録の作成?
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- jupyterとかで残しておくのがいいんかな
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- 物理版とインターネットに上げる版を分けておく
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- 物理版には写真とかも入れ込む
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父親との会話より
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> 山田耕作に師事してたって話は聞いたことあるけど、弟子一覧みたいなのってあるのかな。
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> 東京帝国大学卒業よ。ロシア5人組に影響されたか興味、関心、共感があったらしく、スコアがあったと思うんだがちょっと探しても見つからなかった。瀬谷にあるかな
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明日瀬谷行くので見てくる
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1904年生まれだと思うのでリアルタイムで5人組ではないと思うが、民族音階vs西洋音楽的な構図はなんとなくわかる気もする
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2022/10/01
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https://archive.keiyou.jp/gpa/komonjo/catalog/p08405
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https://archive.keiyou.jp/gpa/komonjo/catalog/h9-8-1%e8%bf%91%e4%b8%96
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http://archives.pref.yamaguchi.lg.jp/msearch/cls_detail.php?op=detail&t=2&id=273194&pg=72&odr=3577&c=50
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松浦和雄の先代の和平のさらに先代:水太郎 (富岡製糸場建てた人の一人)
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- https://blog.goo.ne.jp/whtomioka/e/5bd1caa52de74425f795ef11dbdf5e17
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- https://www.city.tomioka.lg.jp/www/contents/1527577004582/simple/2018-06-p004-005.pdf
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- https://www.city.tomioka.lg.jp/www/contents/1517277422709/simple/2018-02-p008-009.pdf
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- https://blog.goo.ne.jp/whtomioka/e/0448a7372a6e5158dd687c1069f7bc19
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- http://jsmh.umin.jp/journal/50-3/371-389.pdf
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content/落合陽一.md
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content/落合陽一.md
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#person
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title: 複製するメディアではなく、"刷られた装置"としてのコンピューター - 芸術とデザインの視点からのDIY半導体
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title: 複製するメディアではなく、"刷られた装置"としてのコンピューター - 芸術とデザインの視点からのDIY半導体
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- art
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- memo
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#writings
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抵抗やコンデンサ、コイルのような素子自体をDIYデザインやクラフトの対象にする試みは[[Hannah Perner-Wilson]]らの”[[Kit of No Parts]]”を代表として様々な例があるが、半導体素子に関してはまだまだ例が少ない。
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抵抗やコンデンサ、コイルのような素子自体をDIYデザインやクラフトの対象にする試みは[[Hannah Perner-Wilson]]らの”[[Kit of No Parts]]”を代表として様々な例があるが、半導体素子に関してはまだまだ例が少ない。
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content/逆卷しとね.md
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#person #stab
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