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#book
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[[Jonathan Sterne]], 2021, Duke University Press
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インタビュー記事
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https://campanthropology.org/2023/02/06/jonathan-sterne-on-his-book-diminished-faculties/
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[[健常者が障害学をやることはできるのか]]について面白い言及
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## 読書メモ
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## 1章
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- 筆者は甲状腺癌による摘出を2010年に経験してから、声帯が麻痺した
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- 甲状腺癌による摘出を2010年に経験してから、声帯が麻痺した
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- 無自覚であることに気づくこと-それは「いつ」発生している?
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- (歴史に書かれないことを読み取るのがいつでも大変)
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- 現象学からスタート
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- 「ないこと」をどうやって話すか?という点でimpairment phenomenologyは特殊
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- これ、[[ACE アセクシュアルから見たセックスと社会のこと - アンジェラ・チェン|ACE本]]で言ってるのと近しいぞ!
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- impairmentとdisability
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- 日本語では「機能障害」と「能力障害」
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- スターン曰く、impairment≡disabilityの身体的表出
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- sexとgender、skinとraceの関係と似たもの
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- impairmentをdisabilityの表出ではなく原因/基底としてしまうと、その定義はdiminished faculties(減退した能力)・・・つまりabilityに基づいたものになり、循環的定義になってしまう
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- facultyは単に身体的な能力以外にprivilege的な社会的能力も指している(大学の先生のポジションを表すのももちろんね)
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- [[Julie Livingston]]によるボツワナでのフィールドワークを基にしたimpairmentとdisabilityを分けない"debility"概念
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- 根底の考え方として、impairmentは情報通信などでも使われる概念だが、そういった身体を機械として捉えるアナロジーがボツワナにはない
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- 時間経過を伴う病気と障害の違い
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- 癌が肺に転移している(ステージ4)のためスターン自身も病気(chronic ill)の状態ではある[^cancer]
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- 障害者は病気だと思われたくなく、病気にかかったものは障害だと思われたくないという相互のスティグマがある
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自身も経験したvocal lossについて
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[^cancer]: ブログ記事曰く転移しているけどもそれでも悪化しているわけではないとのこと。 https://superbon.net/2023/06/05/4-june-2023-cancer-crawl/
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Iris Marion Youngのfeminist phenomenologyの"discontinuous unity"気になる
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## 2章
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content/Jonathan Sterne.md
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#person
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content/健常者が障害学をやることはできるのか.md
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content/健常者が障害学をやることはできるのか.md
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#scrap
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https://campanthropology.org/2023/02/06/jonathan-sterne-on-his-book-diminished-faculties/
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> **Toni Nieminen:** **Your book can be posited as an auto-ethnographic account in that your own experiences of living with cancer have shaped and enabled you to think about experience in a fragmented way, whereby change and contingency become the point of departure in experience and perception. Considering some criticisms of auto-ethnographic writing (who gets to say what, when and why), do you reserve impairment phenomenology for those living with impairments, or is it accessible also to the non-impaired? If so, how does the project change in the process? Further, and this is something you gesture towards in the concluding handbook, do you think that impairment phenomenology can be used as a research tool across disciplines?**
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> **あなたの本は、あなた自身のがんとの闘いの経験が、経験と知覚の出発点となる変化と偶発性を形成し、断片的な方法で経験について考えることを可能にしたという点で、オートエスノグラフィーの記述であると仮定することができます。オートエスノグラフィーの書き方に対する批判(誰が、いつ、何を、なぜ語るのか)を考慮すると、Impairment PhenomenologyはImpairmentとともに生きる人たちのためにあるのですか、それともImpairmentのない人たちも利用できるのですか?もしそうなら、その過程でプロジェクトはどのように変化するのでしょうか?さらに、これは結論のハンドブックであなたが示唆していることですが、Impairment Phenomenologyは分野を超えた研究ツールとして使えると思いますか?**
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> **Jonathan Sterne:** This is a fantastic question! I think about this a lot. Who can and should write about impairment and disability? Anybody can. More people should. All are welcome. But as the saying goes, “nothing about us without us.” Writing about disability starts with reading work in disability studies. There is an awful lot of sanctioned ignorance among ableds, which is how you get neo-eugenic access policies and disability simulations, as well as scholarship that uses or engages with disability from an ableist frameworks. So, the first step is struggling to overcome that sanctioned ignorance.
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> 素晴らしい質問ですね!私はこのことについてよく考えます。誰が障害や障がいについて書けるのか、また書くべきなのか。誰にでもできます。もっと多くの人が書くべきです。誰でも歓迎です。しかし、諺にもあるように、"私たちなしには私たちのことは何も語れない"。障害について書くことは、障害研究の仕事を読むことから始まる。新優生学的なアクセス政策や障害シミュレーション、能力主義的な枠組みから障害を利用したり、障害に関与したりする学問が生まれるのはそのためである。ですから、最初の一歩は、その公認された無知を克服するために奮闘することなのです。
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> I don’t think there should be a passport for writing about anyone, but there is a responsibility to the group you are studying, and a moral requirement of social solidarity if you are in a privileged position with respect to them. In the humanities this is often personalized around the charisma and ethos of the intellectual—as in, to be wrong is to be morally deficient. I hate that, but I also understand it. For disabled people, the emotional stakes can be amplified because the personal and political are commingled, and we are so often represented by others against our will, especially in institutional contexts. Our challenge as scholars is to resist this impulse to completely personalize position-taking, while being attentive to the fact that universities and the field of academic writing are very ableist spheres, which often crowd out and systemically exclude disabled people. Right now in universities, we have a situation where most of the claims to putative expertise on disability come from nondisabled people. We have to ask how such a fucked-up result came to pass and what it will take to transform that situation. We need to deal with this in concert with other challenges our institutions are facing around their ongoing racist, colonialist, cis-sexist, and heterosexist histories. It is perennially unfinished work.
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> しかし、自分が研究しているグループに対する責任や、彼らに対して特権的な立場にある場合には、社会的連帯という道徳的要件がある。人文科学の分野では、これはしばしば知識人のカリスマ性やエートスの周りに個人化される。私はそれが嫌いだが、理解もできる。障害者にとっては、個人的なものと政治的なものが混ざり合っているため、感情的な利害が増幅されることがある。研究者としての私たちの課題は、大学やアカデミック・ライティングの分野が非常に健常者主義的な領域であり、しばしば障害者を排除し、組織的に排除しているという事実に注意を払いながら、立場を完全に個人化しようとするこの衝動に抵抗することです。今、大学では、障害に関する専門知識を主張する人のほとんどが、障害のない人たちであるという状況がある。私たちは、なぜこのようなめちゃくちゃな結果になったのか、そしてこの状況を変えるためには何が必要なのかを問わねばならない。人種差別的、植民地主義的、シス性差別的、ヘテロセクシスト的な歴史が現在も続いていることをめぐり、私たちの組織が直面している他の課題と協調して、この問題に対処する必要がある。それは永遠に未完の仕事である。
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> As I mention above, I don’t use the label auto-ethnographic for _Diminished Faculties_, though I’m also a believer in Barthes’ “author is dead” thesis, and others will categorize me as they like and I’m fine with that. My resistance to the term is that I think all ethnography involves the position of the ethnographer (so ethnography without a reflexive turn on the ethnographer is bad ethnography). There’s also a systematicity and intentionality to ethnographic research that’s absent in _Diminished Faculties_. It’s a very fragmented text both in terms of subject matter and method.
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**トニ・ニーミネン** **あなたの本は、あなた自身のがんとの闘いの経験が、経験と知覚の出発点となる変化と偶発性を形成し、断片的な方法で経験について考えることを可能にしたという点で、自己エスノグラフィーの記述であると仮定することができます。自己エスノグラフィーの書き方に対する批判(誰が、いつ、何を、なぜ語るのか)を考慮すると、障害現象学は障害とともに生きる人たちのためにあるのですか、それとも障害のない人たちも利用できるのですか?もしそうなら、その過程でプロジェクトはどのように変化するのでしょうか?さらに、これは結論のハンドブックであなたが示唆していることですが、障害現象学は分野を超えた研究ツールとして使えると思いますか?**
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**ジョナサン・スターン**素晴らしい質問ですね!私はこのことについてよく考えます。誰が障害や障がいについて書けるのか、また書くべきなのか。誰にでもできます。もっと多くの人が書くべきです。誰でも歓迎です。しかし、諺にもあるように、"私たちなしには私たちのことは何も語れない"。障害について書くことは、障害研究の仕事を読むことから始まる。新優生学的なアクセス政策や障害シミュレーション、能力主義的な枠組みから障害を利用したり、障害に関与したりする学問が生まれるのはそのためである。ですから、最初の一歩は、その公認された無知を克服するために奮闘することなのです。
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しかし、自分が研究しているグループに対する責任や、彼らに対して特権的な立場にある場合には、社会的連帯という道徳的要件がある。人文科学の分野では、これはしばしば知識人のカリスマ性やエートスの周りに個人化される。私はそれが嫌いだが、理解もできる。障害者にとっては、個人的なものと政治的なものが混ざり合っているため、感情的な利害が増幅されることがある。研究者としての私たちの課題は、大学やアカデミック・ライティングの分野が非常に健常者主義的な領域であり、しばしば障害者を排除し、組織的に排除しているという事実に注意を払いながら、立場を完全に個人化しようとするこの衝動に抵抗することです。今、大学では、障害に関する専門知識を主張する人のほとんどが、障害のない人たちであるという状況がある。私たちは、なぜこのようなめちゃくちゃな結果になったのか、そしてこの状況を変えるためには何が必要なのかを問わねばならない。人種差別的、植民地主義的、シス性差別的、ヘテロセクシスト的な歴史が現在も続いていることをめぐり、私たちの組織が直面している他の課題と協調して、この問題に対処する必要がある。それは永遠に未完の仕事である。
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私はバルトの「作者は死んだ」というテーゼを信じているし、他の人が私を好きなように分類するのは構わない。私がこの言葉に抵抗があるのは、すべてのエスノグラフィーはエスノグラファーの立場を含んでいると思うからだ(だから、エスノグラファーへの反省的転回を伴わないエスノグラフィーは悪いエスノグラフィーである)。また、エスノグラフィーの研究には体系性と意図性があるが、『_Diminished Faculties_』にはそれがない。主題と方法の両面において、非常に断片的なテキストである。
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@ -26,6 +26,8 @@ title: 読書メモ
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[[エトセトラ vol.10 特集:男性学]]
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[[Diminished Faculties - Jonathan Sterne]]
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### その他
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[[ACEが読むと面白いかもしれない漫画]]
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