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cssclass: research-note
type: "book"
author: "鮎川, ぱて"
title: "東京大学「ボーカロイド音楽論」講義"
date: 2022-01-01
citekey: NianChuanDongJingDaXueBokaroidoYinLeLunJiangYi2022
tags:
- research
- book
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> [!Cite]
> 鮎川ぱて. 2022. 東京大学「ボーカロイド音楽論」講義. Tōkyō: 文芸春秋.
 
>[!md]
> **FirstAuthor**:: 鮎川, ぱて  
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> **Title**:: 東京大学「ボーカロイド音楽論」講義  
> **Year**:: 2022   
> **Citekey**:: NianChuanDongJingDaXueBokaroidoYinLeLunJiangYi2022  
> **itemType**:: book  
> **Publisher**:: 文芸春秋  
> **Location**:: Tōkyō  
> **ISBN**:: 978-4-16-391362-9    
# Notes

ボカロの表象文化論ではあるが、実は半分近くがジェンダー論・クィアスタディーズの超入門講義。LGBTQの説明から[[ジェンダー・トラブル フェミニズムとアイデンティティの撹乱 - ジュディス・バトラー|バトラー]]まで。

言われてみるとボカロで扱うにはすごく適した題材なんだなと。

一方で、自分が言われてみるまで気づかなかった理由を考えてみると、自分にとってのボーカロイド文化は2000年台後半のニコニコ動画の思い出とほぼ同一だからだと思う。

まあ、ある種の悪い2ch文化の延長に自分が一番ハマっていた時期でもあったから、千本桜ぐらいまででニコニコから離れると同時期にそれ以降のボカロ文化(カゲプロ、HoneyWorksとか)ほとんど自分の体験した文化ではなくなっている。まあ、それはSupercell筆頭にボカロPがメジャー音楽シーンに進出していくことに結構ながっかり感を抱いていた時期とも繋がると思う。

その後もボカロシーンを見続けていれば私もこういう風な視点で楽しめていただろうか。

まあなんだろう。あの頃デPを楽しめていた自分をどう捉えればいいのかが自分にはまだわからない。


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