Merge remote-tracking branch 'origin/v4' into v4
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This commit is contained in:
commit
4122c10d53
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vendored
2
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content/Do we still need computer music.md
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16
content/Do we still need computer music.md
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@ -0,0 +1,16 @@
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date: 2025-01-17 22:54
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#scrap #computermusic
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Do We Still Need Computer Music? [[Eric Lyon]] (Talk given at EMS 2006, Beijing)
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[Do\_We\_Still\_Need\_Computer\_Music.pdf](https://disis.music.vt.edu/eric/LyonPapers/Do_We_Still_Need_Computer_Music.pdf)
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> A possible criticism of our instrumental definition of computer music is that it is stylistically agnostic.
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> For this reason a distinction between category and genre is critical.
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[[やや弱いコンピュータ音楽]] で書いたことの前提は人通りまとまっている
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これむしろ逆の感想を抱いたな、完全にstyle-agnosticな形でコンピューター音楽を定義する方が有益な議論を導けるように思える
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content/Sherry Turkle.md
Normal file
8
content/Sherry Turkle.md
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@ -0,0 +1,8 @@
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date: 2025-01-17 13:00
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#stub #person
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[[接続された心 - シェリー・タークル]]
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[[Simulation and Its Discontents - Sherry Turkle]]
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date: 2025-01-17 12:58
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#book
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[[Sherry Turkle]], MIT Press, 2009
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[Simulation and Its Discontents](https://mitpress.mit.edu/9780262546799/simulation-and-its-discontents/)
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@ -1 +1 @@
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Subproject commit beda24528ae828bac0a1d4788733976e4a5429f4
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Subproject commit 92dd1b0be83e3cf4a02bfc8c4c6eaf529fca8b87
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10
content/なぜコンピューター音楽はクソッタレなのか.md
Normal file
10
content/なぜコンピューター音楽はクソッタレなのか.md
Normal file
@ -0,0 +1,10 @@
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date: 2025-01-18 00:44
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#scrap #computermusic
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"Why Computer Music Sucks - [[Bob Ostertag]]" (1998)
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https://web.archive.org/web/20160312125123/http://bobostertag.com/writings-articles-computer-music-sucks.htm
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> 実際、アルス・エレクトロニカに応募された287の作品を聴いてみて、あえて言うなら、今日の最先端技術(スペクトル再合成、洗練された位相ヴォコーディング・スキームなど)で作られた作品は、ポピュラー音楽市場向けの楽器店で入手可能なMIDIモジュールで作られた作品よりも、さらに音の均一性が高い。 この事実が浮き彫りになったのは、審査員によって音色の新しさが並外れていると指摘された作品が、その大部分が古いブクラのアナログ機材で制作されたものであることが判明したときだった。(DeepL翻訳)
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28
content/フィクションとシミュレーション.md
Normal file
28
content/フィクションとシミュレーション.md
Normal file
@ -0,0 +1,28 @@
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date: 2025-01-17 12:50
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#memo
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[[三浦俊彦]]による公開講座
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[フィクションとシミュレーション Fiction and Simulation \[JP\] | UTokyo.TV | 東京大学](https://tv.he.u-tokyo.ac.jp/lecture_4847/)
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その講義の、[[古谷利裕]]によるメモ
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[2024-09-27 - 偽日記@はてなブログ](https://furuyatoshihiro.hatenablog.com/entry/2024/09/27/000000)
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> フィクションとシミュレーションを、三浦のように別物として対照して考えるのではなく、有限反復と無限反復というように反復回数を軸を用いて連続的に考えることができるのではないかと思った。
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ゲームの哲学で多く議論されてはいるが、より自然科学、コンピューター科学の哲学よりの議論が下敷きになっていることもある。
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[[Michael Wiseberg]]はシミュレーションのフィクション説を否定的に論じている。
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ワイスバーグによるとフィクション説の有力な支持者は[[Peter Godfrey Smith]]
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[Models and fictions in science](https://dash.harvard.edu/bitstream/handle/1/3168793/Godfrey_ModelsFictions.pdf?sequence=2&origin=publication_detail)
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これも面白そう [[Simulation and Its Discontents - Sherry Turkle]]
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#writings
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#writings
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仕事から帰ってきて夜9時過ぎ、最近よく見ているVTuberが飲食店経営シミュレーション系のゲームをしているのを眺めていて、このメタすぎる状況は一体何なんだろうと我に返ってしまった。
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仕事から帰ってきて夜9時過ぎ、最近よく見ているVTuberが飲食店経営シミュレーション系のゲームをしているのを眺めていて、このメタすぎる状況は一体何なんだろうと我に返る。
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彼/彼女ら配信者は一応労働の一部としてゲームをプレイし、それを世界中へ配信する。その中でも飲食系の労働シミュレーションゲームはPlate Up!をはじめとしてポピュラーなカテゴリの一つである。こうしたゲームは大概客の注文に対して並列でタスクをこなしていって、それがうまくいかずに大慌てするのを楽しんだりするものだ。だが物によっては仕入れやサービングも含め、かなりシミュレーションの要素が多く作りこまれたものもあり、忙しさのあまり逆に実況者が無言になってしまうケースもままある。逆に、ゲーム性はそこそこに比較的単純なタスク消化っぽく調整されたものものあり、そういったタイプのゲームでは雑談やらロールプレイの下敷きとして使われていることもある。
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彼/彼女ら配信者は一応労働の一部としてゲームをプレイし、それを世界中へ配信する。飲食系の労働シミュレーションゲームは『Overcooked』シリーズや『Plate Up!』をはじめとしてポピュラーなカテゴリの一つである。こうしたゲームはたいてい、プレイヤーが客の注文に対して並列でタスクをこなしていって、それがうまくいかずに大慌てするのを楽しんだりするものだ。だが物によっては仕入れやサービングも含め、かなりシミュレーションの要素が多く作りこまれたものもあり、忙しさのあまり逆に実況者が無言になってしまうケースもままある。逆に、ゲーム性はそこそこに比較的単純なタスク消化っぽく調整されたものものあり、そういったタイプのゲームでは雑談やらロールプレイの下敷きとして使われていることもよくある。
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そこには職業としての配信者という飲食バイトからはある意味最もかけ離れた職業の人間が「敢えて」キビキビとルーチンをこなす単純労働バイトをするというギャップももちろん影響しているだろう。普段は遠い存在に思えるVTuberを身近な対象として感じさせる効果もある。実況者がバイト経験があればそれは身近に思える効果のプラスになるし、全く経験がなくてめちゃくちゃなことをやれば浮世離れした存在としてやっぱりプラスになる。どっちであろうとお得だ。
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ともあれ、「SIM」シティシリーズに代表されるように「シミュレーション」はリテラルにコンピューターゲームの一つの重要なカテゴリであり、それはコンピューターが生まれた目的(弾道のシミュレーション)と合致しており、アランケイがパーソナルコンピューターに夢見たメタメディアを構成する根本の一つでもあり、計算機の存在理由そのものと言っていい。
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ともあれ、「SIM」シティシリーズに代表されるように「シミュレーション」はリテラルにコンピューターゲームの一つの重要なカテゴリであり、それはコンピューターが生まれた目的(弾道のシミュレーション)と合致しており、アランケイがパーソナルコンピューターに夢見たメタメディアを構成する根本の一つでもあり、計算機の存在理由そのものと言っていい。
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しかし、シムシティとPlate Up!のような飲食経営シミュレーションゲームとではプレイヤーがシミュレーションを行うのか、プレイヤーがシミュレーションの一部として組み込まれるのかという点では真逆と言ってもよい。
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しかし、シムシティとPlate Up!のような飲食経営シミュレーションゲームとではプレイヤーがシミュレーションを行うのか、**プレイヤーがシミュレーションの一部として組み込まれる**のかという点ではある意味真逆の性質を持っている。
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計算機はプレイヤーのためにシナリオとパラメーターを用意し、プレイヤーはそれをなるべく忠実に実行し、そのクオリティの良し悪しを計算機が判定する。
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飲食経営シミュレーションゲームにおいて、計算機はプレイヤーのためにシナリオとパラメーターを用意し、プレイヤーはそれをなるべく忠実に実行し、そのクオリティの良し悪しを計算機が判定する。ある役割を振る舞うことをプレイヤーに要請するという意味では飲食経営ゲームはシムであり、なおかつ文字通りのRPGゲームでもある。(まあ依然、ライバル店だったり協力者としてCPUは存在して、それらはゲーム制作者の想定する世界における店員としてシミュレーションに参加するのだが)
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プレイヤーにあるロールを指定するという意味では飲食経営ゲームはシムとRPG:役割を演じるゲームの相の子でもある。
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こうしたゲームにおける実況配信は、FPSや格ゲーのようなわかりやすいe-sportsの実況とも、マイクラやゼルダのようなオープンワールドゲームの実況のどちらと比べても、どう考えても異質だ。一応、ゲームにおける高得点の獲得は仮の目標として目指されるものの、実況者はその労働環境の制約の中でどれだけプレイヤー同士/プレイヤーとオーディエンスの間で「遊べる」のかを感じ取って実践していく。見ている側も、プレイヤーが本気で労働に集中しきって労働ロボットになってしまったら面白くもなんともないのは直感的に理解してるので、期待に釣り合う実況内容が何かしらのバランスをもって成立している。
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--執筆中--
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わざわざゲームの中でまで労働をするなんて冷静に考えてみたらどう考えても異常だ。しかし、世の中には[健常者エミュレータ事例集](https://healthy-person-emulator.org/)なるものが存在するように、一般的に、常識的に振る舞うということは人間が意識して機械のように実行しているというケースもままある。常識や一般的な価値観に則って振る舞うことが要求されるという状況を作るとそれだけで滑稽になってしまうのかもしれない。去年流行った[空気読み。](https://kuukiyomi.com/) なんかもそういう位置づけができるのだろうか。
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派生系として、同じく去年流行ったゲームに、店長にワンオペを押し付けられたコンビニバイトとして一般客の対応をしながら迷惑客をバールで殴り倒す[僕、アルバイトォォ!!](https://store.steampowered.com/app/2985930/_/?l=japanese)というゲームがあった。印象的なシーンとして、冷凍ケースに入ったり車で店内に突っ込んで来るような迷惑客に紛れて、駐車場でグランドピアノを弾き出す客が出てくるのだが、そいつは一般客扱いで殴ると減点になる。一方で店の外で寝ている人や酔っ払いはバールで殴って応対しなければならない。最終的にこのゲームの主人公は店長と店を殴って破壊して終了する。ある意味で原義通りのサボタージュが実践されて終わるわけだが、こういう労働シミュレーションゲームって労働組合の団体交渉をシミュレーションしたりストライキで賃上げを上手く成立させるみたいなのって存在しないですよね。ちなみに私は飲食もコンビニバイトも経験がありません。(完)
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[[フィクションとシミュレーション]]
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